キラー通りを歩いて分かった自分の心境の変化①

東京メトロ銀座線の外苑前駅からぐるっと歩いてみて感じたのは、個性の表現だらけの街並みを歩くのは食傷気味だと感じたというものでした。そして少し疲れました。(以下の画像はグーグルマップに歩いたルートを記入したものです、赤丸は目的だったテラッツァという建物の位置)  

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 キラー通り外苑西通り)を歩いたのは、竹山聖(アモルフ)さんの設計したテラッツァ(1991年)を見に行こうと思ったからです。この建物は、十数年前に私が大学生だったときに訪れて感動的なカッコよさを覚えたものの一つです。外部空間であるコンクリートの塊で作られた三角形断面の空間がすごく良かった。重いコンクリートで作られた大きな空間と、壁で囲まれた薄暗い空間に壁の隙間から光が差し込むのが、とても感動的でした。

当時は若かったためか、テラッツァだけでなく現代建築の集まる街を歩くのがとても楽しかったですね。本日感じたテラッツァの印象は 、別の記事で書く予定です。

さて、食傷気味だった理由・建物を見疲れた理由を考えてみました。どうも私は個性のある建物を、見過ごすのではなく観察しようとしたため、そして個性ある建物が沢山あったため、消化不良に陥ったのでは無いのだろうかと。

昔はとにかく目新しい建物を見るのが楽しかったものです。でも様々建物を見ていくうちに自分の好みの建物や街並みが段々分かってくる。そしてその(現在の)好みと本日歩いた街並みとがずれていた。建物の個性があまり無く(←こう言うと失礼なのでしょうが)見過ごすことになんら抵抗の無い街並みであれば頭の中での情報処理も少なく過ごせるのですが、 テラッツァのある神宮前のように個性ある建物が密集していると、好みでないのにもかかわらず私の性格的にあれも見なきゃこれも見なきゃとなってしまって、頭の中での情報処理が追いついてこないのだろうと。

つらつらと書いてみましたが、自分の心境を表現するのは難しい。

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